現代人の身体と心は石器時代から進化していない。
この言葉をどこかで聞いたことがある人は、この記事を閉じてもらっても構わない。
これは、恋愛を科学的に分析して一定の理論を構築している恋愛工学の提唱者、藤沢和希氏の主張だ。
本書で主張される数々の健康法についてベースとなる思想は藤沢氏のそれとほぼ同じ。
身体も心も現代社会に適応できるようには進化していないのだから、できるだけ生活環境を狩猟時代に近づけようというもの。
結論だけ見れば、自然に触れあい身体を動かし、食物繊維を多く摂取しましょうという月並みな主張に落ちつくのだが、そこは雑誌を眺めるかのように学術論文を読み漁る著者ならでは、豊富な科学的エビデンスが添えられる。
そして、エビデンスのもとになる学術論文でさえ、無批判に受け入れるのではなく時にはデータの取り方や検証手法を批判する。
自分の主張を押し付けようとする姿勢もない、あくまで中立的な立場を維持した語り口は、読み手の僕の警戒心を解く。
その穏やかで中立的な論調は、熟練のペテン師か真理を求める求道者のようでもあり、あるいは明晰な頭脳を持つ研究者のようでもある。
さて、僕が本書で得たものは、たんなる健康法の知識ではない。
狩猟時代の生活と現代人の文化的な生活を比較していく本書を読んでいて僕の脳裏によぎったのは、最近SNS界隈で散見される「持たざるもの」の経済圏だ。
彼らは基本的に財産を持たない。そして定住しない。
世界各地を転々と移動し、好きな時に好きな場所で働き、遊び、自由を謳歌している。
個人がSNSを通じて価値を提供できるスキルを持っているということが背景にあることは言うまでもないが、刮目すべきはそこではない。
彼らは定住せず財産を持たないことで身軽さを実現している。そして、その生活に必要となる物資や住まいをどのように調達しているのだろうかという疑問への回答こそが、僕が狩猟時代の生活から「持たざるもの」を連想した理由だ。
端的に言うと「シェアリングエコノミー」のことである。
著者が紹介する狩猟採集民の生活とは、小さなコミュニティで必要なものを共有し、勤労(狩り)は生きるに最低限の時間におさえて日々遊び暮らすような生活だ。
これはまさに「持たざるもの」が必要最低限の仕事をしながら世界を自由に遊びまわっている姿そのものである。
違うのはコミュニティが土地に縛られた固定的なものではなく、SNSというサービスを介した緩いネットワーク上にあるということだけ。
そして、このコミュニティのルールは単純だ。
持てるものは持たざるものへ与える、つまり平等を重んじるということだけ。
これはなにも助け合いの精神とか無償の愛などが前提にあるわけではなく、そのコミュニティが経済的に最適なシステムを追い求めるうちに自然に作り上げられているというから驚きだ。
人類の生活様式は狩猟採集から農耕へ、そして産業革命を経て資本主義へと到達した。
資本主義のルールのもとでは、財産を持つ者のもとにはより多くの財産が集まるという法則が成り立っていた。
それはあたかも財産にも万有引力の法則が適用されるかのように、不平等を助長させてきた。すべての質量は引力を持ち、引力によって質量を増やした物質はさらに強い引力を持ち、いつしかひとつの星となるほどに。
しかし、地上の引力の及ばない領域において「所有すること」は力を持たない。
所有から共有へと変わることで世界はどのように在り方を変えるのか、あらたなゲームのルールは誰が決めるのか、まだまだ先は見えないが確実に変化は起こりつつあるのだと、財産を築くこともできなかった僕は未来に希望をたくすのだった。
余談だが、今年(2018年)のはじめ、スピリチュアルではかなりの実績を持つ僕の友人が2018年は所有の概念が変わる節目にあると言っていた。
彼女自身はすでに相当の資産を築いているはずだが、所有の概念が変わるにあたって自分の財産をどうするつもりなのか機会があれば聞いてみたい。
最後に、著者が本書の一節で紹介していた世界最古のライフハックを紹介して本記事のまとめとしたい。
「memento mori」(死を想え、古代ローマ時代の警句)
「飲みかつ食べよう、明日には死ぬのだから」(旧約聖書)