『誠実な詐欺師』トーベ・ヤンソン著。これは兎と犬と狼の物語。




「公平かどうかは」とカトリは続ける
「自分が公平で誠実であったかどうかは、誰にも完全には確証できないでしょう。それでも努力することはできます……」




『誠実な詐欺師』トーベ・ヤンソン著。これは兎と犬と狼の物語。

自分にも他人にも徹底的に誠実であろうとした女性と、裕福であるがゆえに自分に不誠実でありつづけ、それに気づくこともなかった老女との交流の物語。
ちなみにトーベ・ヤンソンはかの有名なムーミンの原作者でもある。

誠実さ=「私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま」(デジタル大辞林)のように、一般的に言う誠実さは他人や物事を対象とする。
その意味では、本作の老女は人を疑うことを知らず鷹揚な性質で、つねに他人の心情を慮っていて誠実そのものと言える。

だが、その実、亡き両親の教えや他人への思いやりに囚われすぎていて自分の価値観や欲求が見えなくなってしまっている。
そこへ現れた女性と接することで、自身が本来持っていた嗜好や価値観に徐々に気づいていく。

たとえば「来客にはコーヒーを振る舞っていた」事実から自分もコーヒーが好きだと思い込んでいただけであり
実は自分はそれほどコーヒーが好きではなかったことなど。

一方で、老女と交流を始めた女性は自分自身の欲望にも誠実であり、それを満たすための意思も明晰さも十分に持ち合わせている。
その老女との交流も自分の野望を達成するための過程に過ぎない。

そんな彼女は度々、狼に例えられる。
ただし、彼女が誠実なのは自分にだけではなく他人に対してもであり、嘘を着くことがない。

心にもないおべんちゃらでさえ発することがない。
そして、一時的に相手の気分を良くして利益を引き出すのではなく、長期的にみて相手に対しても利益となるのならば苦言を呈すことも辞さない。

その結果、相手に生じた利益のうちで自分が寄与した部分を当然に受け取る。
徹底的に合理的で公正でありながら自らの欲望にも正直であろうとする。

物語が進むにつれて、女性の巧妙な戦略どおり女性と老女は交流を深めて行く。
しかし、女性の現実的で合理的な価値観と、老女の理想的で観念的な価値観はやがて衝突する。

最終的に、女性は自分の願望を叶えつつも老女のために、(おそらく)はじめて自分に対して不誠実な嘘をつく。

自己の欲望に誠実であろうとしているかのような女性の野望は、弟にボートを買い与えること。
それは厳密には彼女自身の欲望ではない。彼女は弟に依存することで強さを保っていた。女性の飼っていた犬は彼女に服従することで誇り高さを保っていた。
老女は自分を抑えることで、亡き両親も含めた他人にそして社会に依存していた。

自分自身で立っていたのは物語で内面の語られることのなかった、純粋だが賢くはないカトリの弟のみだった。

これはたぶん共依存と自己欺瞞に関する、兎と犬と狼の物語。

追記

俺は、人は誰でも自分の利益のために自分勝手に生きて良いと思っている。
そのためには他人を蹴落としたり傷つけたり、騙したり裏切ったりと色々と残酷な決断をする必要に迫られることもある。

俺自身は、その決断と行動を基本的に認めることにしている。
ただ、その行動の原因を自分の欲望ではなく環境に求めたり、やむを得なかったのだと合理化することについては強い嫌悪を覚える。

どのような行動を起こしても自由だが、そこには責任も伴わなければならない。
自分の汚い一面を認めることもせずに他人を傷つけるなんて、よほど無邪気な子供にしか許されることではないはずだ。




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