『読書について他二篇』ショーペンハウエル著。本を読むと頭が悪くなる?







『読書について他二篇』ショーペンハウエル著。本を読むと頭が悪くなる?

再読。

若かりしころ、個人的に悲観的楽観論と呼んでいた思想の持主であるショーペンハウエルの著作。
そのころ物事に対して斜に構えた冷笑的な態度をとってしまっていたのは、思えば、ビアスの「悪魔の辞典」とショーペンハウエルの「意思と表象としての世界」の影響が強かったのかもしれない。

本書は「思索」「著作と文体」「読書について」の三篇で構成される。
「著作と文体」については興味がないので読み飛ばした。

「思索」と「読書について」は、主張が重複している部分が多いが至極簡単にまとめてしまえば。

  • 読書は他人の思考を追うだけであり、多読は思考力を損なう。
  • 世の中は悪書に満ち溢れているので、読書をするならば古典を読みなさい。

の二点がショーペンハウエルが本書の二篇で主張したいことと読んだ。
いずれも耳に痛い言葉で、あらためて肝に銘じておきたいと思った。

それこそ本書を初めて読んでいたころにニーチェも読んでいたのだが、知人とも言えない知人に一言それで何を考えたのか、と問われて回答に窮したことが忘れられない。
その知人をたまにテレビで目にするのだが、そのたび自分の未熟さを思い出して、いまだに気恥ずかしい気分になる。

自分にとって読書は、帰宅してとりあえず点けるテレビのようなもので、考えることを放棄するための手段のようなものだったかもしれない。
ショーペンハウエルは読書を食事に例えて、胃弱が食べ過ぎれば胃を壊すように精神的食物も、とりすぎれば精神の窒息死を招きかねないと説く。

また、食物は食べることではなく、消化によって我々を養うとも。
言うまでもなく、精神的食物は書物のことであり消化は思索のことだ。

そして精神的食物は摂取した量の1/50も栄養になればせいぜいだと彼は言う。
その摂取できる内容も個人が興味を持っている事柄に限られるというところは、人は見たいものだけを見るという嗜好性バイアスそのものだ。

「努めて古人を読むべし。真に古人の名に値する古人を読むべし。今人の古人を語る言葉、さらに意味なし。」(AW・シュレーゲル)

追記。

シュレーゲルは依然読んだのだが、まったく内容を覚えていない。
と思ったが本書で引用されていた上記の諫言は俺が以前読んだシュレーゲルの弟の方の言葉らしい。

いずれにしろ、当時の俺の興味にシュレーゲルは引っかからなかったのだろう。
好奇心旺盛なひとは色々なものに接すると良いけれど、そうではない場合はどうすればいいのだろうか。

興味のないものを摂取して何も残らないよりは、見たいものだけを見続ける方がましなのでは。




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