やってみなけりゃ分からない?本当に?『人間のように泣いたのか?』森博嗣 著




森博嗣氏の著作は軽いエッセイを除きほぼすべて読んでいるが、多くの著作でキーとなるのは天才科学者の間賀田四季博士だ。

天才(という設定)の言葉を理解することはできなくとも、その問いかけについて考えることはきっと意味があるのではないだろうか。




やってみなけりゃ分からない?本当に?『人間のように泣いたのか?』森博嗣 著

天才は子供のように好奇心に従う

天才は、遊び半分で、偉業を成し遂げるものだ。本人には、偉大な仕事をしようなんて気は最初からない。遊んでいるに過ぎない。子供のときからの延長で、ただ興味の向くまま、好きなことをしているだけなんだ。

出典:人間のように泣いたのか? Did She Cry Humanly? 森博嗣 著

僕は実際に天才に会ったことがない。会ってみたいとは思うけれど、残念ながらせいぜい秀才、あるいは天才に近いと思える人くらいで、明らかな天才にはあったことはない。

でも、天才に近い彼の振る舞いを思い出すと、やはり天真爛漫で興味のおもむくままに生きている、という表現がしっくりくる。

興味の幅は多彩でかつそれぞれの造詣も深く、僕の知っていることで知らないことはなかった。

その源泉は、並々ならぬ好奇心とそれを追求するに足る体力。

しばらく僕は彼と一緒に暮らしていたが、本当に一日3時間くらいしか眠らないのにいつも活力に満ちていた。また、ひとつのことに没頭すると周囲が見えなくなるほどの集中力も見せていた。

待ち合わせに一向に表れないので心配して連絡すると、道中で気になったものを調べていて僕との待ち合わせをすっかり忘れていたなんてことも珍しくなかった。2時間や3時間待たされるなんてのもざらにあった。

それでも彼は人望を失うこともなかったが、それは彼がただの天才ではなく社交能力も兼ね備えた天才に近い秀才だったからだろう。

凡才は従う好奇心を持っていない

ある分野について偏執的なほどの好奇心を抱く人はその分野についてはきっと天才だ。それが表に出るかどうかは別として。

むしろ、一切の分野について距離をおいて冷めた視点を保つ僕のようなタイプが凡人だ。

従うべき凡人はどうすればいいのか、というと、とりあえず色々なことをやってみるしかないのではというのが僕の思うところ。

なんともどうしようもないけれど、いつか自分にとって譲れない強烈な体験が訪れると期待するしかない。

人事を尽くして天命を待つ

一流の料理人は、どの料理がどれくらいの時間で冷めるのかを計算して、また、客がどんな順で料理を食べるのかにも気を遣っているものです。~(中略)~けれど、厨房から料理を出してしまったら……(中略)もうできることはありません。予想をしても無駄。考えて心配しても無駄。しばらくあとになって、帰ってきた器を見ることがせいぜい。では……、そんな彼にできることは、何でしょうか?

出典:人間のように泣いたのか? Did She Cry Humanly? 森博嗣 著

……何ができるだろうか?

本書で登場人物がどう答えたかはあえて伏せておきたい。

だが、少なくとも一流の料理人が客が料理を食べる順が自分の見立てと違っているからといって、それをコントロールするようなことはしないのは間違いないだろう。せいぜい厨房から料理を出すタイミングをずらすくらいが精いっぱいだ。

逆に、一流ではなく料理人でもない僕らは、料理が冷める時間を見積もって客が食べる順に気を遣うことさえできない。はらはらと客の反応をうかがって、場合によっては姑息な手段で客の食べる順番に干渉しようとさえするかもしれない。

予測し、予測とのずれを狭める。仮説検証

僕らは天才ではない。

けれど、天才のやり方をまねるくらいはできるはずだ。

細かな条件や事実を正確に把握して事態の推移を予測する。できることをすべてやったら、あとは事態の推移を見守る。手を出してはならない。

計算通りにいった部分と計算違いの部分を洗い出して、次回以降の計算に反映させて予測の精度を上げる。

会社に勤めて長い人は、このサイクルを繰り返すのがビジネスでも重要と繰り返し教わった記憶があるだろう。

我慢ができない

しかし、こと自分の自由になる領域では、直面している事態を成功裏に終わらせたいという欲求に耐えられず、手を出してしまう。

しかしそれでは、成功するにしろ失敗するにしろ学ぶことができない。

おかげさまで再現性のない運に任せた生き方を繰り返すことになってしまう。

では、どうすれば我慢できるのか

これは実験だ、と思い込むのが有効。

なにがなんでも成功させたいという熱量は、必ずしも前向きな影響があるわけではない。

熱い気持ちは心の奥底にしまっておいて、冷静に事の成り行きを観察しよう。

計画して準備して実行するという過程ですでに結果は決まっているのだと割り切ろう。

そういえば、僕が尊敬する家族はむかし「やってみなきゃ分からないことなんてほとんどない。だいたいのことは本当に真剣に考えたら、やる前から結果が分かることばかりだ。やってみなきゃ分からないとか言ってる人は、考えるのが面倒なだけだ」と言っていた。

僕もたびたび、考えるのが面倒でとりあえずやってみようと行動が先行してしまうことがあるので、この言葉は刺さった記憶がある。

やってみなけりゃ分からない?本当に?『人間のように泣いたのか?』森博嗣 著 まとめ

「やってみなければ分からない」というのは、考えないことの言い訳なのかもしれない。一方で、やらなくても結果が分かっていることでも、やってみれば、結果通りだったということは分かる。

答え合わせはいつだって楽しいのだから、まずは考えて、それから実行しよう。

……なんだか、最近眠れなくて頭が回らない。何が言いたいのか分からないまま、ただ書いている。




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