成功者と僕らの違い




成功者と呼ばれる人たちと自分の違いはいったいなんなのだろうか。能力?作業量?運?




成功者と僕らの違い

同じ月を見ている

驚くべきことに、世界はすべて地続きになっている。

僕がこうしてキーボードを叩いている部屋は廊下につながり、ドアを開けて外に出ると街がある。街から電車に乗り飛行機で海を超えると別の大陸にもつながっている。視点を上に向けると空があり、宇宙があり、その先にもきっとなにかある。

そこに境目はなく、すべては一体となっている。それが世界だ。

すなわち、タイピングの音しかしない静かな部屋にいる自分と、地球の裏側で酒とドラッグにまみれている誰かは、マクロな視点で見ると同じ場所にいるともいえる。

違いは、現象が物理的に近いか遠いかということでしかない。

では、なぜ自分と彼が同じ場所にいながら違うものを見ているのだろうか。

成功者は生まれ持った能力が高いのか

人の生まれ持った能力に差はない。という戯言を信じるほどに僕は青臭くはない。

身長も頭脳も免疫力も、ある程度は努力で変えられるのは事実だが、一方で生まれつき優れた能力を持っている人がいるのも事実だ。

生まれ持った能力は成功の必要条件でも十分条件でもないが、それでも成功者はもともと能力が高い人が多いのは事実だろう。

成功者は努力をしているのか

これは努力をしているともしていないとも言える。

なぜなら、周囲からは恐ろしいほどの努力をしているように見えても、本人にとっては努力とさえ思っていない普通のことをやっているつもりのケースが多いからだ。

成功者は運が良いのか

けっきょく運がすべてだよね、という向きもある。だが、運悪く成功してしまう人などいないから、成功者はすべからく運も良いのだろう。

だが、幸運に恵まれるのは行動した人だけだ。宝くじだって買わなければ当たらない。

成功方程式

まとめると、こういうことになる。

成功の確率=能力×努力×運

能力、努力、運のどれかがずば抜けて高い、またはそれぞれがそれなりに高いと成功する確率は高くなる。

のだが、ご覧のとおり、残念ながら我々凡人が確実に自分でコントロールできる変数は「努力」しかない。

成功者と自分の違いを比較したところで、結論は「努力するしかない」という夢も希望もない現実に落ち着くのだ。

確実な成功法則などない

といってしまうのは簡単なのだけれど、実は現実的には色々と小細工ができる。

ひとつは左辺をいじること。

成功の定義を変えてしまえば必要になってくる右辺の数値も変わってくるという裏技。隣のぶどうは酸っぱい、足るを知る、自己欺瞞。心の安定には役立つ小細工。

もうひとつは右辺の項目をなんとかコントロールしようと工夫すること。

能力は相対的に比べられるものだから、戦う土俵を変えれば数値を挙げられる。

そして、運はとにかく行動量を増やすことで高められる。宝くじを買うのはコストパフォーマンスが悪すぎるが、行動はそこまでのコストはかからない。

ちなみに、不確定なことに対するときには、実は安全側に倒して考えたほうが収穫が多い。

失敗することももちろんあるが、失敗は行動の修正の機会をもたらすので損失は限定される。一方で、不安や恐怖で行動しないでおくと、本来得られるはずだった利益が得られないまま放置されるため、損失は無制限に広がっていく。

やるかやらないかで迷ったときは、多くの場合やったほうが得なのだ。

成功者と僕らの違い まとめ

成功者は能力が高く、努力をかかさず運も良いというのはだいたい正しい。

凡人の僕らが努力をするのは当然だけど、あとはちょっとした小細工を重ねて戦っていくしかない。

刀折れ矢尽きるまで、進むしかないのだと覚悟しよう。




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