目を閉じ耳を塞ぎたくなる現実の追体験。『夜と霧』ヴィクトール・フランクル 著。




目を閉じ耳を塞ぎたくなるような現実を知りたければ本書をオススメする。

現実に目を向けるのも背けるのも自由だ。




目を閉じ耳を塞ぎたくなる現実の追体験。『夜と霧』ヴィクトール・フランクル 著。

またひとり死んだ。するとなにが起こるか。X回目に、そう、X回目に。感情的な反応など、もはや呼び覚まされない。見ていると、仲間がひとりまたひとりと、まだあたたかい死体にわらわらと近づいた。ひとりは、昼食の残りの泥だらけのじゃがいもをせしめた。もうひとりは、死体の木靴が自分のよりましなことをたしかめて、交換した。三人めは、同じように死者と上着を取り替えた。四人目は、(本物の)紐を手に入れて喜んだ。

出典:『夜と霧』ヴィクトール・フランクル 著

フィクションではない地獄

収容所での日常風景は胸糞が悪い。しかも悪いことにこれはフィクションではない。

ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』は実際にアウシュヴィッツ収容所に収容され、命からがら生還した医師であるフランクルの手記だ。

暴力と不条理に支配された環境下で人間がどのように人格を奪われて、ただのモノに成り下がっていくのかが精神科医としての視点で冷静に記述される。

自分だけは救われるはずだという恩赦妄想から、感情の消滅、精神活動の退行。そして絶望。自分にとって都合の良い妄想や反応をやめることでしか苦痛から逃れるすべはない。どれだけ祈ろうと閉じられた空間に救いは訪れない。

広い意味で会社に収監されている人には多少なりとも共感できる部分があるのではないだろうか。

責任を自覚した人間は生きることから降りられない

そのような絶望的な空間でも、フランクルを含む一握りの者だけは人間性を失わずに済んだのはなぜだろうか。

フランクルは手記の中で、自分が人間性を保てた理由を「責任を自覚すること」と説明する。

愛する人への責任、自分を待っている仕事への責任。それらこそが未来への希望であったと。責任を自覚した人間は「生きることから降りられない」と。

実際に、フランクルはなんとか手に入れた紙切れにこの手記を記録し、生還して社会に公表する責任を果たした。

だが、個人的に本書でフランクルが強調する愛については腑に落ちていない。

そしてわたしは知り、学んだのだ。愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり(哲学者のいう)「本質」に深くかかわっている、ということを。愛する妻の「現存」、わたしとともにあること、肉体が存在すること、生きてあることは、まったくの問題の外なのだ。

出典:『夜と霧』ヴィクトール・フランクル 著

プラトンのイデア論そのものだが、言葉どおりに理解するのならば、愛は生身を必要としないということは、自分の幻想そのものが愛ということに思える。

ならば、生きることに他者は必要ないのだろうか。それでは少し寂しいと思うのは僕が感傷的すぎるのだろうか。

ちなみに、本書の原題の直訳は「ある精神学者の強制収容所の体験」、英題は「mans search for meaning」。死の淵で見出した生の意味が幻想というのは、僕はなんともやるせない気持ちになる。

人間性と引き換えの生

そして、僕がもっとも印象に残った一節はこれだ。

とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。

出典:『夜と霧』ヴィクトール・フランクル 著

やはり、極限状態において生き残るのは清濁併せ呑むことのできる悪人なのだと、僕は理解した。

それでも、生来ひとが悪人であるわけではなく、環境によって悪にも善にも染まれるものなだけだと思う。そもそも、極限状態においては善悪などなんの意味も持たないということだろう。

フランクルは愛と責任を自覚することで人格を保って生還したが、人間性を保っていたのかは不明だ。そもそも、人間性と善悪に関連はないのかもしれない。

生きるか死ぬかの瀬戸際で、僕は死者の身ぐるみを剥ぐことができるだろうか。

人間性を捨てて生きるのか、人間らしく死ぬのか。

保身のために、あるいは職務として他人の人生を切り捨ててきた僕はきっと人間性を捨てて生きる道を選ぶ気がする。

目を閉じ耳を塞ぎたくなる現実の追体験。『夜と霧』ヴィクトール・フランクル 著。まとめ

信じたくなかろうが、残酷な現実は世界のどこかに存在する。実際に体験するのはまっぴら御免だが、追体験で得るものは多い。

他にも残酷な現実を知りたいのであれば、アンネの日記を読んではいかがだろうか。だが、アンネの人生はフランクルのそれとは違い、救いはない。

わざわざ救いのない現実に目を向けるのか背けるのか、それは自由だ。

見たいものだけ見ていたいという態度も僕はいいと思う。




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